その他の 業績

 

 塙保己一先生は“世の中の人々のため、後の世の人々のため”役立つよう に、と世の中に 知識を広める情報公開のさきがけともいうべき群書類従の編 纂のほか、国学(日本の古典を 研究し、日本独自の文化・思想を探求する学 問)の研究拠点となる和学講談所を設立し国学 の進展に努めました。

このほか、塙先生の業績によるものと して、次のようなものもあります。

◎小笠原諸島の帰属(きぞく)
(めぐ)り、領有を主張する外国に対し、江戸 幕府は和学講談所に調査を命 じ、小笠原島の裁判記録が残されていたこと が大きな要件となり、明治になって日本の領土 に確定したといわれています。
 この資料は、後に「続々群書類従」に収録されています。

 ◎熊谷市出身の荻野吟子(おぎのぎんこ)さんは、医師をめざしましたが、明 治初期には女性医師の前例が無いと 門戸を閉ざされていました。
 しかし、塙先生 が出版した「令義解(りょうのぎげ)
(養老令の官製注釈書(ちゅうしゃくしょ))」 の「医疾令(いしつりょう)」の中に「女医」の記述があり、 近代日本で最初の女性医師となりました。

 聾唖(もうろうあ)の三重苦という重い障害を背負いながらも世界各地を 歴訪し、身体障害者の教育・ 福祉に尽くし、世界的な偉人として讃えられる ヘレン・ケラーは、塙保己一先生を人生の目 標としました。

  (盲:目 が見えない、聾:耳が聞こえない、唖:話せない)